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世界経済 マレーシア編 第2回目

世界経済 マレーシア編 第2回目

こんにちは。

exit.です。

今回のコラムでは、前回に引き続きマレーシアの情報を皆様にお届けいたします。


前回のコラムは以下のリンクよりお読みいただけます。


マレーシアは政治的には連邦立憲君主制の国で、13の州と3つの連邦直轄領から成り立っています。1511年にマラッカをポルトガルが占領し、その後1641年に今度はオランダがマラッカを占領しました。1795年にはイギリスがマラッカを獲得し、1824年にオランダとの英蘭協定でマレー半島がイギリスの支配下に入ることが決まりました。1874年にイギリス領マラヤが成立することとなりました。第二次世界大戦時には日本の支配下に入っているので、マレーシアが独立するまでに、ポルトガル、オランダ、イギリスと日本の統治を経験しています(近世以降)。マレーシア(マラッカ)と日本の歴史話としては、薩摩出身(と言われています)で殺人の罪から逃れるためにポルトガル船に乗ってマラッカに移ったヤジローがフランシスコ・ザビエルの通訳者として薩摩に上陸した、というものがあります。ヤジローの生涯については不明なところも多いですが、最後は海賊に殺されたとも、海賊となって殺されたとも伝えられています。

※ドクロマークは海賊(罪人)の証と考えられています。名前こそ書かれていませんが、ヤジローの墓石とも言われています(Japonensisと読める個所があります)。


マレーシアのクアラルンプールには国家記念碑と戦争慰霊碑があります。慰霊碑の方には「To our glorious dead. (栄光ある死者へ)」という文言と、1914-1918(第一次世界大戦)、1939-1945(第二次世界大戦)、1948-1960(マラヤ危機)の3つの年号が書かれています。また、国家記念碑の台座には「Dedicated to the heroic fighters in the cause of peace and freedom. May the blessing of Allah be upon them. (自由と平和のために戦った勇敢な兵士たちに捧げる。彼らにアッラーの祝福あれ)」と書かれています。マラヤ危機とはマラヤ連邦(現在のマレーシアのことです)で起こったマラヤ共産党の軍隊であるマレー民族解放軍とイギリスを中心とした自由主義・民主主義陣営の内戦です。この内戦はマラヤ連邦として独立1957年に独立(初代国王兼初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン)をした後も続きました。この内戦は自由主義陣営の勝利で終わり、現在でもマレーシアでは共産党及び共産主義を禁止している原因ともなっています。

※マレーシアのクアラルンプールにある国家記念碑です。
※クアラルンプールにある慰霊碑です。国家記念碑のすぐ近くにあります。


マレーシアの料理は、複数の民族が暮らす多民族国家のためバラエティに富んでいます。インド系や中華系の人たちもいますので、インド料理(カレー等)や中華料理(点心や麺類など)もあります。マレーシアの代表的な料理はココナッツミルクやハーブなどの更新料をふんだんに使ったマレー料理やマラッカ発祥のニョニャ(Nyonya)料理があります。マレー料理はマレー系にはイスラム教徒が多いことからハラルに則った調理法でお酒や豚肉を使わないものになっています。ニョニャ料理はマレーと中華系が混ざったものになっており、ココナッツミルクやハーブなどのマレー料理でよく使われる材料を使いながら中華系の食材を使っており、マレー料理とは異なった見た目と味になっています。香辛料を使ったものが多いため苦手な人はなかなか手が出ない料理かもしれませんが、好きな人は癖になる味だと思います。イスラム教が多いマレーシアでもお酒は飲めますが、値段は高め(お酒にかかる税金が高いため)で、観光客がたくさん来るレストランやホテルなどでの提供となっていることが多いようです。

※マレーシア料理の「エビソバ」です


マレーシア編の最終回となる次回は、経済や金融を含めた投資の面について取り上げていきたいと思います。


次回も皆様のお役に立つ情報を発信していきます。


本コラムは、特定の商品の勧誘や売買の推奨等を目的としたものではなく、また特定の銘柄および市場の推奨やその価格動向を示唆するものでもありません。投資判断は投資家の皆さまの自己責任でお願い致します。


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